正閏論(読み)せいじゅんろん

世界大百科事典(旧版)内の正閏論の言及

【三国時代】より

…士民の間に道教が普及してゆくのも,人々が個人の救済を求めたからであった。
[三国鼎立と正閏論]
 禅譲という形式で漢を簒った魏,一時魏に臣属したがやがて帝国を称した呉,漢室の後裔と称する蜀の3国が同時に並立したため,どの国が正統かという正閏(せいじゆん)論が起こることになった。西晋の陳寿の《三国志》は魏を正統として書いたが,東晋の習鑿歯(しゆうさくし)の《漢晋春秋》は蜀を正統とする。…

※「正閏論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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