世界大百科事典(旧版)内の武丁の言及
【殷】より
…これ以後,第30代帝辛(紂(ちゆう)王)が周によって滅ぼされる前11世紀後半までを後期(安陽市北郊の小屯村遺跡により,小屯期ともよぶ)とする。第22代武丁は,河南北部,河北南部,山西中・北部の異部族を攻め,これを西方に移動させ,王朝の勢力を西,北に拡大した。前11世紀前半には陝西中部まで直接影響を与えるに至った。…
※「武丁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…これ以後,第30代帝辛(紂(ちゆう)王)が周によって滅ぼされる前11世紀後半までを後期(安陽市北郊の小屯村遺跡により,小屯期ともよぶ)とする。第22代武丁は,河南北部,河北南部,山西中・北部の異部族を攻め,これを西方に移動させ,王朝の勢力を西,北に拡大した。前11世紀前半には陝西中部まで直接影響を与えるに至った。…
※「武丁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新