《歴史的方法の立場による政治経済学》(読み)れきしてきほうほうのたちばによるせいじけいざいがく

世界大百科事典(旧版)内の《歴史的方法の立場による政治経済学》の言及

【クニース】より

…48年以降カッセル工科大学,フライブルク大学教授を経て,65年ハイデルベルク大学教授となり,96年まで同大学で教育・研究に専念した。マールブルク時代は歴史学と国家学を講じたが,師ヒルデブラントの影響を受けて経済学に転じ,スイス時代に著した《歴史的方法の立場による政治経済学》(1883)において歴史学派の立場を明確にした。すなわち,アダム・スミス学派の個人主義的・普遍主義的な経済学をコスモポリタニズムとして批判し,経済学説や政策は時代によって変化せざるをえないことを主張した。…

【歴史学派】より

…19世紀の40年代にドイツに成立し,同世紀後半にかけてドイツで隆盛を誇った経済学の一思潮。学説史のうえではA.スミスやD.リカードらの古典派経済学(古典派と略称)に対する批判ないしは反動として位置づけられている。古典派や,また古典派を批判する社会主義が,それぞれ独自の体系を有するのに対して,歴史学派は結局は体系らしきものを生み出さなかった。歴史学派は特定の体系を共有する学派というよりは,むしろ特定の思考方法を共有する学派だという性格をもっている。…

※「《歴史的方法の立場による政治経済学》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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