毗曇(読み)ひどん

世界大百科事典(旧版)内の毗曇の言及

【大化改新】より


[原因]
 原因を条件と契機とに分ければ,7世紀半ばころには日本でもなんらかの国政改革が試みられるのが必然であった条件として,6世紀末から7世紀前半にかけての中国大陸に隋・唐という中央集権的大統一国家が出現し,周辺諸国,とくに朝鮮半島の国々を圧迫しはじめたという国際環境が挙げられる。まず高句麗は隋・唐の侵略によく抵抗していたが,641年に至って大臣の泉蓋蘇文(せんがいそぶん)が宝蔵王ら反対派を暗殺し,百済ではその翌年に義慈王(ぎじおう)が反対派の貴族らを追放して,それぞれ権力の集中をはからざるをえなかったし,新羅でも647年には当時の女王に対して毗曇(ひどん)ら貴族が反乱を起こしている。日本の朝廷は遣隋使,遣唐使や朝鮮諸国との交渉を通じて国際環境の激動を知っており,帰国した留学生らに教育された青年貴族の間では国政改革が日程に上っていたようである。…

※「毗曇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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