世界大百科事典(旧版)内の民乱の言及
【壬戌民乱】より
…1862年(干支は壬戌)2月の慶尚道晋州の民衆反乱に始まり,同年11月にかけて朝鮮南部(慶尚,全羅,忠清各道)の各地で相次いだ農民を主体とする反乱。晋州民乱ともいう。発生期の東学の活動時期・地域とほぼ重なり,翌年には大院君政権が成立するなど,朝鮮近代の開始期に起きた民衆反乱として重視されている。…
【李朝】より
…こうしてその後の朝鮮近代史を規定する内外の諸要因が1860年代初めに現れてくるのである。そして,民衆の反封建のたたかいは1862年,ついに朝鮮南部で貧農を中心とする大規模な農民反乱(壬戌(じんじゆつ)民乱)となって爆発する。大院君政権はある程度,両班の封建的特権の排除につとめ,また1866年と71年の欧米の武力侵略を撃退したが(洋擾(ようじよう)),しかし他方では王権強化のためにさまざまの重税を課したり,悪貨を鋳造したりしたので,民衆との矛盾を深め,その後も民乱を頻発させることになった。…
※「民乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」