水無瀬信成(読み)みなせのぶしげ

世界大百科事典(旧版)内の水無瀬信成の言及

【水無瀬家】より

…藤原氏北家兼家の男道隆の後裔。すなわち道隆の後胤坊門中納言親信(1137‐97)を祖とする。親信の男坊門親兼および親兼の男信成は後鳥羽上皇の寵臣で,親兼は承久の乱後に上皇に従って落飾し,信成もまた法皇の没後に出家した。信成の男親成は法皇より譲渡を受けた水無瀬離宮の址に住居し,同所に御影堂を営んで法皇の霊をまつり,これにより以後は水無瀬を称するようになった。ついで親成の男良親は朝廷に仕え,室町時代には重親の没後,子がなかったため三条公冬の男季兼が入って家名を継いだ。…

【水無瀬神宮】より

…社地は後鳥羽上皇の離宮水無瀬殿の跡。後鳥羽上皇は承久の変により,隠岐へ移され,1239年(延応1)没したが,その14日前,水無瀬信成・親成父子に遺書置文を下し,菩提を弔うよう命じた。よって翌年この地に御影堂を建てたのが当社の草創で,以後奉斎し,後土御門天皇が1494年(明応3)水無瀬宮の神号を奉じた。…

※「水無瀬信成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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