世界大百科事典(旧版)内の汎愛学校の言及
【運動場】より
…しかしこうした競技場を除けば,人々は祝祭日には都市の中央広場や,鎮守の空き地や道路を〈臨時〉の運動場にして競技を楽しんできたという。 学校の運動場としての歴史はドイツの汎愛学校に始まる。デッサウの汎愛学校では近代的な体育の授業が運動場で展開され,近代体育の父と称されるグーツムーツはシュネッペンタールの汎愛学校で樹木の生い繁る丘陵地をそのまま運動場として整備し,各種の運動器械を設置した。…
【ザルツマン】より
…イェーナで神学を修める。十数年間にわたる牧師生活を経て,1781年J.B.バゼドーの創設になるデッサウの汎愛学校Philanthropinumに招かれ,2年間宗教教師を務めた。84年ゴータ公エルンスト2世の援助のもとにシュネッフェンタールSchnepfenthalに独自の汎愛学校を設立し,終生その指導に心血を注いだ。…
【バゼドー】より
…彼はそれらを通して暗記主義的な当時の学校教育を批判し,教育内容と教授方法の改善の必要を訴えた。アンハルト公レオポルドの援助を得て,74年デッサウに教育改革実現のための実験学校として汎愛学校Philanthropinumを創設した。〈人類愛の学校〉という意味での命名である。…
※「汎愛学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」