世界大百科事典(旧版)内の江川崎の言及
【四万十川】より
…中流部の窪川盆地,下流部の中筋川流域を含めた中村付近の小平野を除いて,流域の大部分は山間地で,とくに中流部の大正町~西土佐村間は著しい穿入蛇行(せんにゆうだこう)をみせる。昭和初期までは河川交通にも利用され,とくに吉野川との合流点である西土佐村江川崎と河口の中村市下田間の水運はさかんであった。下田は,中世以降中村の外港,薪炭,木材の集散・積出地として栄えたが,河口付近の土砂の堆積が多く,また流域の大部分が過疎山村地帯であるため経済開発も遅れ,近代港湾としては発展をみず,衰退した。…
【西土佐[村]】より
…とくに黒尊川最上流,黒尊一帯の美林では江戸初期,隣接する伊予宇和島藩による盗伐事件もあった。四万十川と吉野川が合流する江川崎は,四万十川河口の下田(現,中村市)との間に舟運が通じ,重要な交通の拠点であった。養蚕や用材生産が行われるが,シイタケや栗,イチゴの栽培が盛んで,畜産もふえている。…
※「江川崎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」