世界大百科事典(旧版)内の池川紙一揆の言及
【土佐藩】より
…以後藩政では合議制による文治主義が支配的で,1690年には元禄大定目の制定をみた。18世紀に入ると1707年(宝永4)の大地震津波,27年(享保12)の城下の大火,32年の凶作など災害が相つぎ,藩は家臣の借地,農民の出米徴収,紙の専売制などを強行して,池川紙一揆に代表されるような民衆の抵抗にあい,天明改革では藩費半減の方針を採用した。その後,天保年間(1830‐44)には馬淵嘉平による改革の企てが挫折,幕末には海防問題が切迫するなかで,山内容堂(豊信)に登用された吉田東洋が安政改革を推進した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」