世界大百科事典(旧版)内の沙鉢略可汗の言及
【突厥】より
…西突厥は単に〈十姓〉〈十箭〉〈オン・オクOn Oq〉とも呼ばれ,それがイリ(伊犂)・天山北麓方面と天山西方方面とに分かれていたという。一方,東突厥の沙鉢略(イシバラIshbara)可汗(在位581‐587)は隋の臣を称し,さらにモンゴリアやジュンガリアには鉄勒諸部が一時台頭した。隋末唐初の混乱期に乗じた東突厥は再び勢を得たが,ソグド人や中国人の重用をめぐる同族間の内紛,天災,鉄勒諸部の独立とその唐との連合により,630年に瓦解した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」