河内楠入道(読み)かわちくすのきにゅうどう

世界大百科事典(旧版)内の河内楠入道の言及

【楠木氏】より

…《楠氏系図》で正成の父とされる橘正遠の女が伊賀国御家人服部氏の妻となり,観阿弥を生んだとする〈観世系図〉もあるが,ほかにこれを証明する史料がない。また播磨国大部荘の1295年(永仁3)の文書にみえる河内楠入道も楠木氏と断定しがたい。《高野春秋編年輯録》に1322年(元亨2)北条高時の命で紀伊国保田荘司を討った正成が阿弖河(あてがわ)荘を与えられたとあり,正成がこれらの荘の地頭湯浅氏と対立していたことは事実であるが,この記事も確証はない。…

※「河内楠入道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む