世界大百科事典(旧版)内の河川水運の言及
【河港】より
…しかし日本のすべての河港はすでに消滅してしまった。水量の豊かな河川が緩やかに流れる中国やヨーロッパでは古くから河川水運がさかんで,沿岸に発展した多くの河港が地方の産業や文化の中心になった。新大陸では16世紀以降ヨーロッパ諸国の植民が進むにつれて多くの河港が発生した。…
【利根川】より
…さらに中流以下の利水は,末端が首都圏近くにあるため,農業用水から工業用水や飲料水など都市型用水に変化しつつある。【中山 正民】
[水運の歴史]
利根川流域の河川水運は,《万葉集》に埼玉の津にいる船がみえ,文永年間(1264‐75)には下総神崎(こうざき)で伊豆走湯山灯油料船が争論をおこし,北条氏照判物には佐倉から関宿,葛西から栗橋への川船通行がみられるなど,古代から戦国期まで断片的な史料でその存在が知られる。近世に入ると,1592年(文禄1)に武州忍(おし)から下総上代(かじろ)に移封になった松平家忠は,忍新郷より川船で〈矢はぎ〉〈かないと〉を経て小見川に着船し,上代に至っている。…
※「河川水運」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」