世界大百科事典(旧版)内の河水統制事業の言及
【河川総合開発】より
…とくに第2次世界大戦後の十数年間は,毎年のように大水害に見舞われ,かつ食糧危機やエネルギー不足に悩んでいたため,河川総合開発は国土開発における最重点課題であった。日本における河川総合開発のはしりは,すでに1938年に始まった河水統制事業に見ることができる。大正末期にダム技術の進歩に呼応して,発電ダムの出現,洪水調節ダムの提案があり,それらを受けてダムによる流水制御を総合的に施行しようとして開始されたもので,その開発思想としては,33年にアメリカ合衆国で開始されたTVAの影響も強かったと推察される。…
【治水】より
…これを受けて,日本でも,鬼怒川改修工事の一環として五十里ダムの建設に着手したが,大断層ゆえに難航し,1933年工事半ばに中止され実現はしなかった。39年ころからは,河水統制事業の名のもとに,洪水調節を主目的とするいくつかのダム計画が実施された。その典型例は1938年に着手された相模川の相模ダムである。…
※「河水統制事業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」