世界大百科事典(旧版)内の波切不動の言及
【不動明王】より
…【関口 正之】
[不動信仰]
不動明王はインド,中国には遺品が少ないが,日本では平安時代初期以来の密教の盛行とともに,種々の異形をも生じながら尊像が数多く作られ,種々の煩悩を焼き尽くし,悪魔を降伏し,行者を擁護して菩提を得させる明王として信仰された。代表的な尊像として上記の三不動(黄不動,赤不動,青不動)のほかに,弘法大師(空海)の持仏と伝えられる教王護国寺(東寺)西院御影堂安置の秘仏,弘法大師が唐からの帰路海上に顕現し,天慶の乱,蒙古襲来の際にも活躍したという高野山南院の波切不動などがある。また,《栄花物語》は1027年(万寿4)9月に崩じた皇太后藤原妍子の五七日忌(三十五日の法事)に不動尊供養を行ったこと,《宇治拾遺物語》は比叡山無動寺の相応和尚が不動尊の加護を得て都卒天(兜率天)にのぼったこと,《源平盛衰記》は僧文覚が同尊のはからいによって,紀伊国那智の滝での三七日(21日)間の水行を成就したこと,などを述べる。…
※「波切不動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」