洞庭山(読み)どうていざん

世界大百科事典(旧版)内の洞庭山の言及

【洞庭湖】より

…《荘子》天運篇に〈黄帝が咸池(かんち)という楽曲を洞庭の野で演奏した〉という記述がみえることから推せば,当時の人々にとって〈洞庭〉という語は,天地の間にひろがる大広場のようなものとしてイメージされていたのかもしれない。魏晋南北朝時代に入ると,洞庭湖の周辺に洞庭すなわち大洞窟があると信じられるようになり,君山(洞庭湖中にある名山)も洞庭山と呼ばれた。のみならずこの洞窟は,はるか東方の呉の太湖(江蘇省)にあるという洞窟と地底の道によって結ばれているとされ,太湖中の包山も洞庭山と呼ばれるようになった。…

※「洞庭山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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