津川船道(読み)つがわせんどう

世界大百科事典(旧版)内の津川船道の言及

【阿賀野川】より

…年貢米(1697年5万俵),材木,薪などが積み下ろされ,西入塩(1820年約4万俵),海産物,上方商品などが積み上され会津藩の大動脈であった。そこで藩は1618年(元和4)以来何度か津川より上流部の通船工事を実施したが永続的成果を得ず,津川と新潟の間で舟運が発達した(津川船道(ふなどう))。河口は33年(寛永10)信濃川と合流して以来水深を深くし,新潟湊の黄金時代をもたらしたが,前述のように1730年松ヶ崎の分水路開削以来,港が浅くなり,衰退の原因となった。…

【津川[町]】より

…阿賀野川と常浪(とこなみ)川の合流点にあり,町域の8割は山林,市街は南岸の盆地の狭い段丘上にある。中心地津川は新潟と会津若松のほぼ中間に位置し,近世は阿賀野川水運(津川船道(せんどう))と会津街道の結節点の河港町,宿場町として栄え,今も旧河港跡が残されている。会津街道は諏訪峠を経て赤谷,新発田に通じていたが,峠付近には石畳の道が残されている。…

※「津川船道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」