世界大百科事典(旧版)内の津野新荘の言及
【津野荘】より
…これよりさき1090年(寛治4)鴨社には遠江国河村荘ほか19荘,745町と御厨(みくりや)8ヵ所が朝廷より寄進されたが,その一荘である土佐国潮江荘は1100年の地震津波によって海没,その代替として立荘されたのが津野荘である。その後,鎌倉末期までには同郡多郷(現,須崎市)に荘域を拡大するとともに津野新荘を別立した。その新荘荘域は新荘川河谷の下流地域にある新荘の上分(現,須崎市),中・上流の半山(現,高岡郡葉山村),そして南北朝期以降には峠を越して四万十川上流の東津野(現,東津野村),檮原(ゆすはら)(現,檮原町)に及んでいる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」