津野新荘(読み)つのしんしょう

世界大百科事典(旧版)内の津野新荘の言及

【津野荘】より

…これよりさき1090年(寛治4)鴨社には遠江国河村荘ほか19荘,745町と御厨(みくりや)8ヵ所が朝廷より寄進されたが,その一荘である土佐国潮江荘は1100年の地震津波によって海没,その代替として立荘されたのが津野荘である。その後,鎌倉末期までには同郡多郷(現,須崎市)に荘域を拡大するとともに津野新荘を別立した。その新荘荘域は新荘川河谷の下流地域にある新荘の上分(現,須崎市),中・上流の半山(現,高岡郡葉山村),そして南北朝期以降には峠を越して四万十川上流の東津野(現,東津野村),檮原(ゆすはら)(現,檮原町)に及んでいる。…

※「津野新荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む