世界大百科事典(旧版)内の洪福源の言及
【洪茶丘】より
…茶丘は年少時の字。1233年高麗に背いて,蒙古に逃れ,以後遼陽・瀋陽方面の高麗人亡命者を統轄していた父洪福源の横死後,1261年その任を継いだ。林衍(りんえん)の乱,三別抄の乱など高麗内の反元的動きの鎮定,高麗での元の日本侵略準備の監督と2回の遠征の指揮,乃顔・哈丹等満州方面の諸王の反乱討伐などに当たり,元の東方経略に重要な役割を果たし,遼陽行省右丞に至った。…
※「洪福源」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」