浅倉当吾(読み)あさくらとうご

世界大百科事典(旧版)内の浅倉当吾の言及

【佐倉惣五郎】より

…その背景には悲運に刑死したと伝えられる惣五郎一家鎮魂のための御霊(ごりよう)信仰(将門信仰)が結びつき,同時に百姓一揆の頻発する江戸後期の民衆心理が,惣五郎像の虚構化をさらにうながしたと見られる。歌舞伎の初演は1851年(嘉永4)8月中村座《東山桜荘子》(3世瀬川如皐作)で,役名は法令の規制により浅倉当吾とし,時代も足利氏の時期に設定,柳亭種彦の《偐紫(にせむらさき)田舎源氏》をないまぜにした28場に及ぶ,やや冗漫な長編だが,足利(徳川)家のけんらんたる大奥生活と疲弊した農村の対照が効果をあげ,歌舞伎史上最初の農民劇としても評価される。また当吾の怨霊が領主を苦しめる怪異劇としての側面も見落とせない。…

※「浅倉当吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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