浅野茂長(読み)あさのもちなが

世界大百科事典(旧版)内の浅野茂長の言及

【浅野長訓】より

…幕末・維新期の広島藩主。浅野長懋(ながとし)の5子として生まれ,初め浅野氏内証分家長容の養子となるが,1858年(安政5)広島藩主慶熾(よしてる)が嗣子なく没したため,宗家に入り,翌年,茂長(もちなが)と改名。辻将曹らを年寄に登用して藩政改革を推進するとともに,両度の長州征伐や王政復古の際も調停役として功があった。68年長訓と改名,69年病気により致仕,養嗣子長勲(ながこと)に家督を譲り,東京に没した。…

※「浅野茂長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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