世界大百科事典(旧版)内の浜田県の言及
【石見国】より
…66年(慶応2)7月第2次長州戦争で浜田は落城し美作国鶴田(たづた)へ転退,大森代官も逃走したため長州の軍政下におかれた。69年(明治2)8月旧幕領と浜田藩の領域は新政府直轄となり大森県をおいたが翌年2月浜田県と改称し,県庁は大森から浜田へ移された。71年6月津和野藩の廃藩によって石見全域が浜田県となったが,76年4月島根県に統合した。…
【島根[県]】より
…江戸末期,出雲には松江藩とその支藩の広瀬藩,母里(もり)藩が,石見には石見銀山を中心とする幕府直轄地(大森代官所支配)と浜田藩,津和野藩が置かれ,隠岐は松江藩の預り地であった。1869年(明治2)隠岐国に隠岐県がおかれたが,同年石見国の旧浜田藩領と石見銀山領とともに大森県となり,翌年浜田県と改称した後,廃藩置県を経て津和野県を合併した。出雲国では松江藩,広瀬藩,母里藩が廃藩置県を経た後,71年島根県となり,76年浜田県,鳥取県を合併したが,81年鳥取県が再置され,現在の県域が確定した。…
※「浜田県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」