世界大百科事典(旧版)内の海軍兵器製造所の言及
【軍工廠】より
…陸軍は東京砲兵工廠(1868年,小銃製造中心,幕府の関口製作所が母体),大阪砲兵工廠(1870年,火砲製造中心,長崎製鉄所の機械と職工を大阪城内に移した造兵司が母体)を起点とし,修理と輸入品の模造をおこないつつ,欧米から労働手段・技術を輸入して,1887‐90年には一定の兵器の量産が可能となり,村田銃(十三年式(明治13年)→十八年式→連発銃(明治22年)と改良),7センチ後装式野砲・山砲はこの時期の技術的到達点を示している。海軍は旧幕府が建設していた横須賀造船所等を接収して,1872年に海軍省直轄とし,74年に海軍兵器製造所を東京築地に新設(工部省赤羽工作分局の機械等を移し,1897年より海軍造兵廠と称する)。さらに呉,佐世保海軍鎮守府設置(1889年7月開庁)でその内部に工廠を併置し,また舞鶴工廠を設置(1901年10月)し,四大工廠体制が構築された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」