海部城(読み)かいふじょう

世界大百科事典(旧版)内の海部城の言及

【海部[町]】より

…中心地は海部川河口南岸を占める鞆奥地区で,純漁村の鞆浦と商業町の奥浦からなる。元亀年間(1570‐73)海部氏が鞆浦に海部城(鞆城)を築いたのがその発祥で,蜂須賀氏の阿波入国後も阿波・土佐国境の要地として重視され,奥浦は城下町として栄えた。寛永年間(1624‐44)海部城は一国一城令によって廃されたが,その後も郡代役所が置かれ,海部地方の中心的地位を占めた。…

※「海部城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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