世界大百科事典(旧版)内の海門元東の言及
【建長寺】より
…この禅珠は足利学校を再興したほどの人物であった。江戸中期になると,海門元東が京都妙心寺系の古月派の禅にかえ,1884年貫道周一が初代管長に就任するにおよんで,妙心寺系の白隠(はくいん)派の実践を重視し,参禅第一に徹した禅が導入されるに至った。 文化財としては,蘭渓道隆画像(文永8年自賛),道隆筆法語規則,物部重光作梵鐘(建長7年銘)が国宝,仏殿内の時頼木像,須弥壇(しゆみだん)などの重要文化財が多数存在する。…
※「海門元東」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」