淀屋米市(読み)よどやこめいち

世界大百科事典(旧版)内の淀屋米市の言及

【商品取引所】より

…米商人たちが米を仕入れる際,手付金として掛屋に米の総代金の1/3を支払うと,掛屋は蔵前手形という一種の倉荷証券を発行した。この蔵前手形の売買と情報交換のため商人たちがしだいに淀屋の店先に集まるようになり,淀屋米市(こめいち)が自然に発生した。淀屋の米市では差金のやりとりだけを目的にした蔵前手形の転売買がしだいに盛んになったが,それが米の価格を不安定にするという批判が強まり,幕府はいろいろな規制の後,これを禁止した。…

【堂島米市場】より

…初期の米市場については不明だが,万治・寛文(1658‐73)ごろには,淀屋橋南詰にあった当時の有力な町人蔵元である淀屋の門前に米商人たちが集まり,米売買が行われたという。いわゆる淀屋米市がこれであるが,1697年(元禄10)にいたって,堂島新地の開発にともない,米市場もこの地に移転した。これが堂島米市場のはじまりである。…

※「淀屋米市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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