世界大百科事典(旧版)内の淪陥区の言及
【中華民国】より
…日本軍の占領地域では,1937年12月に北京で中華民国臨時政府が組織されて華北5省の支配に当たり,38年3月に南京で中華民国維新政府が組織され,江南・長江(揚子江)流域の支配に当たった。これらはやがて40年3月に汪兆銘を頭につくられる〈統一〉傀儡(かいらい)政権=中華民国国民政府(汪兆銘政権,南京)に統合されるのだが,抗日戦争中の中国は,大きくいって日本・傀儡政権支配下の〈淪陥区〉と重慶政府に属する〈大後方〉の二つの部分に分かれていたのである。さらにいえば,共産党の辺区政府は独立自主の原則をかかげた別組織であったばかりでなく,淪陥区のなかに多くの抗日根拠地(解放区)をつくりあげ,日本軍・傀儡軍をして点と線の維持に汲々たらしめていた。…
※「淪陥区」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」