世界大百科事典(旧版)内の清浄理の言及
【高陽院】より
…その後,鳥羽天皇は譲位して太上天皇になったが,白河上皇が没した4年後の1133年(長承2)に泰子は鳥羽上皇の女御となり,翌年准三宮になり勲子の名を賜ったが,まもなく皇后に冊立されて泰子と改名した。39年(保延5)院号を授けられ高陽院と称したが,美福門院が台頭してくると41年(永治1)に落飾して法名を清浄理と号した。爾来,仏法三昧の生涯を送ったが,55年12月16日土御門殿において61歳の生涯を閉じた。…
※「清浄理」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」