世界大百科事典(旧版)内の清瀬病院の言及
【清瀬[市]】より
…第2次大戦中の疎開者,戦後の引揚者の流入,さらに昭和30年代以降の都営住宅団地の建設などで人口がふえ,とくに昭和40年代以降の増加がめざましい。また都心から北西へ25kmという適度の距離,広大な松林や新鮮な空気,静かな環境という条件を生かし,1931年の東京府立清瀬病院の開設以来,結核療養所を中心に多くの医療機関が集まり,現在は西武線南側に国立療養所東京病院,結核研究所付属療養所など10をこえる病院・療養所地区が形成されている。【井内 昇】。…
※「清瀬病院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」