世界大百科事典(旧版)内の清須越しの言及
【清洲[町]】より
…1594年(文禄3)町民の総戸数2729軒,3年間の移住戸数1198軒に及ぶ繁栄ぶりである。名古屋への移転は住民,建物はもちろん約50の町名から橋名までも移され,後年,清須越しという。城内をはじめ跡地は周辺の各村によって開墾され,村高2278石余の新田村として再生した。…
【名古屋[市]】より
…1610年徳川家康は子の尾張新領主義直の住む名古屋築城に着手し,南面に市街を開いて,前主松平忠吉の城下清須(現,西春日井郡清洲町)から士民・寺社を移動させた。これを〈清須越し〉という。16年(元和2)駿府の父のもとにいた義直が入国し,若干の駿府住民も流入した(駿河越し)。…
※「清須越し」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」