世界大百科事典(旧版)内の源博陸の言及
【源通親】より
…翌年,長年の政敵九条兼実一派を廟堂から追放(建久7年の政変),98年には為仁の践祚を実現(土御門天皇),後鳥羽院庁の別当にも任じて政治の実権を握った。その権勢は世に〈源博陸(みなもとのはくりく)〉(関白の意味)と称されたほどで,99年(正治1)にも頼朝の死による動揺期をとらえ,京都政界における残余の親幕派勢力を一掃したが,晩年は後鳥羽上皇の政治的成長によって,その掣肘(せいちゆう)を受けることも多かった。和歌文章にすぐれ,著書に《高倉院厳島御幸記》《高倉院升遐記(しようかき)》がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」