世界大百科事典(旧版)内の源定省の言及
【宇多天皇】より
…時康親王(のち光孝天皇)と班子女王を父母として生まれた。陽成天皇廃立によって父が帝位につくと兄弟姉妹とともに臣籍に降って源定省(さだみ)と称し,官人として勤めていたが,父の強い希望によって,887年(仁和3)親王となり,帝位を継いだ。即位の直後,これまでの政治的実権を失うことを恐れた太政大臣藤原基経との間に,阿衡(あこう)事件と呼ばれる権力争いが起こり,これに敗れたため,891年(寛平3)の関白基経の死に至るまで,政権をゆだねざるをえなかった。…
※「源定省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」