瀬尾兼康(読み)せのおかねやす

世界大百科事典(旧版)内の瀬尾兼康の言及

【備中国】より

…式内社としてはとくに吉備津神社が有名である。【吉田 晶】
【中世】
 平氏が瀬戸内海の海賊的土豪を勢力下に収めて台頭したころ,備中の土豪の多くが平氏の忠実な家人となったのは備前と同様で,とくに《平家物語》にみえる瀬尾兼康(せのおかねやす)は,備中国都宇郡妹尾郷(現,岡山市妹尾)を本拠とした武士で,備前の難波二郎経遠・三郎経房兄弟らとともに平氏の有力な家人であった。鹿ヶ谷の陰謀の主謀者藤原成親(なりちか)が備前児島に流され,最後には備前・備中の境,有木(ありき)の別所(べつしよ)に移されてここで殺されたのも,この付近に平氏の有力な家人が多かった証拠である。…

※「瀬尾兼康」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む