世界大百科事典(旧版)内の熊本国権党の言及
【国権論】より
…このように,自由民権期には民権論と国権論とが併存していたが,民権運動の高まりの中では国内の民主革命(民権)に力が注がれて国権論への偏向に歯止めがかけられていたが,運動が衰退するにつれて,対外的な国権の要求が内国の民権の要求を圧倒して優勢化し,明治20年代に入ると,アジア諸国に対する国権行為は明確に対外侵略主義に転換をとげるに至った。そうした過程の中で,イギリス,フランスの民権主義の学風に対抗して,国権主義のドイツ学の積極的摂取がなされ,文字どおり《国権論》(シュルツェHermann Schulze著,木下周一訳,1882)という書物が刊行されたり,熊本国権党などの政治結社が生み出されていった。【佐藤 能丸】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」