日本大百科全書(ニッポニカ) 「熊本新田藩」の意味・わかりやすい解説
熊本新田藩
くまもとしんでんはん
→高瀬藩
→高瀬藩
…46年(正保3)忠興の死後八代城に家老松井興長が入り,忠興の四男立孝(早世)の子行孝は藩主光尚から宇土・益城2郡のうち3万石を内分され宇土町に館を構えた(宇土藩)。熊本新田藩は66年(寛文6)光尚の次男利重が兄綱利から新田3万5000石を蔵米で給され,江戸定府であった。1868年世上不安を理由に帰国,高瀬(現,玉名市)に移り高瀬藩と称した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」