世界大百科事典(旧版)内の《牛若千人切》の言及
【正本】より
…音曲上の節付よりも筋を読ませることが主眼であったが,延宝期(1673‐81)には挿絵がなく,太字で節付の入ったものが刊行されるようになった。《今昔操(いまむかしあやつり)年代記》が〈あまつさへけいこ本八行を,四条小橋つぼやといへるに板行させ,浄るり本に謡のごとくフシ章をさしはじめしは此太夫ぞかし〉と記すのは,宇治加賀掾が1679年(延宝7)に出した《牛若千人切》を指す。1710年(宝永7)には竹本筑後掾(竹本義太夫)正本《吉野都女楠(よしののみやこおんなくすのき)》の七行本が刊行された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」