狼河原(読み)おいのかわら

世界大百科事典(旧版)内の狼河原の言及

【東和[町]】より

…中心集落の米谷(まいや)は北上川東岸にあり,江戸時代には本吉街道と一関街道の交差点であり,大正期ごろまでは北上川舟運の河港であった。二股川に沿って走る西郡街道の狼河原(おいのかわら)(米川)では永禄年間(1558‐70)から製鉄が行われたと伝えられ,荒鉄を米谷に運んで精錬し武具を作っていた。また狼河原一帯は近世初期にキリシタンが多数居住した所で,キリスト教の布教に尽力した後藤寿庵の墓とされる碑が残り,三経塚はキリシタン120名余が処刑された地といわれる。…

※「狼河原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」