世界大百科事典(旧版)内の獣店の言及
【肉食】より
…やがてキリシタンの禁圧と鎖国,さらに将軍綱吉による〈生類憐みの令〉の布告などによって,開花しかけた肉食文化は再びタブーの中に閉じ込められたが,江戸後期に入って新しい展開を見せるようになった。西欧の知識の洗礼をうけた蘭学者などが公然と肉食するようになり,一般にもこれを歓迎する者が多く,江戸で獣店(けものだな),ももんじ屋などと呼ばれた獣肉店が繁盛するようになった。儒医香川修徳(しゆうとく)(1683‐1755)のように,〈邦人ハ獣肉ヲ食ハザル故ニ虚弱ナリ〉と栄養面から肉食の必要を説いた人もあり,寺門静軒のように,たわむれであっても来世は獣肉になりたいなどという者もあった。…
【ももんじ屋】より
…〈ももんじ〉は江戸時代にイノシシ,シカ,タヌキなどの野獣を総称した語で,そうした野獣・野鳥の肉を売り,あるいは食べさせた店を〈ももんじ屋〉といった。獣店(けものだな),獣屋(けだものや)ともいい,江戸には寛文(1661‐73)ころから麴町五丁目,のち同所に隣接する平河町にそうした店があり,イノシシ,シカはもとよりキツネ,ネコ,ヤマイヌ,カラス,トビなどまで売っていた。牛馬などの家畜は食用にすべきではないとする観念は強かったが,それらも当然売られていたと思われる。…
※「獣店」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」