世界大百科事典(旧版)内の玉川座の言及
【歌舞伎】より
…中村,市村,森田の3座を〈元櫓(もとやぐら)〉(〈本櫓〉とも),都,桐,河原崎の3座を〈仮櫓(かりやぐら)〉(〈控櫓〉とも)と呼んだ。このほか,例外として玉川座が許可されたことがある。 上方の劇場は,大坂では1653年(承応2)に六つの劇場の興行が許されたが,元禄期には京都,大坂ともに四つになった。…
【櫓】より
…この三座が興行不能に陥った場合には,代わって興行する〈控櫓〉の制度が設けられていた。34年(享保19)に森田座が借財のため休座するに至ったため,その休座中に限り河原崎座に興行代行の許可がおりたのが始まりで,中村座には都座と玉川座,市村座には桐座,森田座には河原崎座が控櫓と定まったのである。この控櫓(〈仮櫓〉ともいう)に対して江戸三座を〈本櫓〉(〈元櫓〉ともいう)と呼んだ。…
※「玉川座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」