王小波・李順の乱(読み)おうしょうはりじゅんのらん

世界大百科事典(旧版)内の王小波・李順の乱の言及

【均産一揆】より

…やがて優勢な宋朝軍の前に995年(至道1),時の指導者張余が殺されて,反乱は終息した。この反乱は王小波・李順の乱ともいわれる。 また南宋初期に義勇軍を組織し金に抵抗した土豪の鍾相は,マニ教の影響をうけた均産思想をもつ土俗宗教の教主でもあったが,宋朝の疑惑をうけて〈等貴賤,均貧富〉と号して蜂起した(1130)。…

※「王小波・李順の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む