琳豪(読み)りんごう

世界大百科事典(旧版)内の琳豪の言及

【三潴荘】より

…鎌倉初期に一時和田義盛が地頭に補任されたが,後期には一部が元寇の恩賞地として肥前の山城氏,白魚氏などに給されたため,在地領主との間に深刻な対立を生みだした。南北朝期の1347年(正平2∥貞和3),東寺供僧の琳豪が本家得分として毎年米15石,代銭15貫文の進納を請け負い,現地に下向してその督促にあたるが,在地では地下人の押妨(おうぼう),鎮西管領一色氏による兵粮料所の設定や,足利直冬らによる恩賞地宛行が相次ぎ,その遂行は困難を極めた。他方,領家の四条隆資(たかすけ)は南朝に家領の維持を請うなど,内乱は本荘の崩壊に拍車をかけた。…

※「琳豪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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