甘利虎泰(読み)あまりとらやす

世界大百科事典(旧版)内の甘利虎泰の言及

【甘利氏】より

…甲斐の中世武士。武田氏の庶流。武田信義の子一条次郎忠頼の次男行忠が甲斐国巨摩郡の甘利荘を得て,ここに居を構え甘利氏を称したことに始まる。行忠は源頼朝に捕らえられ1185年(文治1)に処断されたが,彼の子孫は代々甘利荘を伝領し,武田氏の老職を世襲した。一蓮寺過去帳には15世紀後半以後数人の甘利姓の者が見られる。そのうちの1人は1515年(永正12)10月17日に没しており,武田信虎が西郡上野城の大井信達を攻撃したおり戦死したようである。…

※「甘利虎泰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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