世界大百科事典(旧版)内の生糸売込問屋の言及
【生糸】より
…日本国内で生産される生糸の3分の2ないし4分の3が年々輸出されたが,23年の関東大震災で神戸港の生糸輸出が本格化するまでは,ほとんどの輸出生糸は横浜港経由であった。横浜には,原,茂木,渋沢,小野などの生糸売込問屋が店を構え,荷主から委託された生糸を輸出商(1910年ころから邦商取扱量が外商のそれを凌駕(りようが))へ売り込むとともに荷主に対して資金を融通した。 開港直後の生産増大は,座繰技術が岩代,上野から各地へ普及したことと,生糸生産者の増加によってもたらされた。…
※「生糸売込問屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」