世界大百科事典(旧版)内の生野代官の言及
【生野銀山】より
…この間,各鉱山の盛衰に応じて,幕府直営,山師請負の経営が行われた。江戸幕府は1600年(慶長5)から生野奉行,1716年(享保1)から生野代官をおいて,鉱山周辺直轄領(1751年5万2500石)とともに支配させた。そのうち銀山7町からなる銀山領には8ヵ所の番所が設けられ,出入りを統制した。…
【但馬国】より
…生野銀山のある地域は豊臣・徳川時代を通じて直領となった。そして隣国播磨の6000石を合わせておよそ3万7000石の直領が銀山付村として生野奉行(1716年以後生野代官)の支配下に属した。
[産業]
代官所のある鉱山町生野は最盛期の1622年(元和8)ころ人口2万を数えたとみられる。…
※「生野代官」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」