世界大百科事典(旧版)内の産別会議民主化同盟の言及
【産別会議】より
…しかし同時に,その指導について,共産党による運動方針の〈押付け〉〈引回し〉に批判が集まるようになった。産別会議はこの弱点を自己批判したが徹底したものではなく,48年,組合民主化を旗印にした民同派(産別会議民主化同盟)の発生を内部にみた(〈民同運動〉の項参照)。産別会議は48年以降,地域人民闘争,産業防衛闘争などを闘ったが,闘争方針そのものの誤りに加えて指導上の弱点も克服できぬまま,民同派による批判,官憲による弾圧,大量解雇によって加盟組合の脱退が相次ぎ,組織人員を急速に減少させた(1949年12月には〈新産別〉が分裂,結成)。…
※「産別会議民主化同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」