世界大百科事典(旧版)内の産業組合中央金庫の言及
【産業組合】より
…第1次大戦の影響で農村経済が潤った時期に,組合員は100万人から200万人へと倍増したが,大戦後の1920年代,30年代には,不況・恐慌の下で農業経営が困難に直面し,地主と小作人との争いが激化したので,政府は産業組合の育成・普及を農業政策の重点とした。1923年の産業組合中央金庫と全国購買組合連合会の設立,産業組合への低利資金の多額融通などはこの一環である。また,1933年から官民総がかりで展開された産業組合拡充計画の効果は大きかった。…
【農林中央金庫】より
…略称,農林中金。1923年に政府および農業協同組合の前身である産業組合とその連合会の出資によって,産業組合中央金庫として設立され,43年に農林中央金庫と改称された。59年には政府出資は皆無となったが,その業務内容は農林中央金庫法に規定されており,農林水産大臣および大蔵大臣の監督のもとにおかれている。…
※「産業組合中央金庫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」