世界大百科事典(旧版)内の由利十二頭の言及
【本荘[市]】より
…鎌倉期,奥州清原氏の勢力下に入っていた豪族由利八郎がこの地の地頭職を得た。室町期には加賀美遠光の庶流が土着し,これを中心に由利十二頭と称する小土豪がこの地方一帯に分立し,対立抗争をくりひろげた。1602年(慶長7)最上氏の所領となり,家臣楯岡氏が尾崎山に築城し本城城と称し,町並みの整備を行った。…
【由利氏】より
…出羽国由利郡(現,秋田県)出身の中世武家。〈由理〉とも書く。鎌倉時代,藤原泰衡郎従に由利八郎があり,鎌倉御家人に由利維平,同維久がみえるが,同族かどうかは不明。鎌倉末期,由利政春が鳥海氏に滅ぼされ,以後当郡は鳥海氏に属したという。室町時代に至り鳥海氏が滅んだのち,郡内に由利十二党(頭)といわれる武士が割拠した。仁賀(嘉)保(にかほ),矢(八)島,赤尾津,子吉(こよし),芹田(せりた),内(打)越(うてえち),石沢,岩谷(屋),潟保,鮎川,下村,玉米(前)(とうまい)がそれで,玉米を除いて羽川(羽根川)(はねかわ)を加え,また芹田の代りに滝沢をいれて数えることもある。…
※「由利十二頭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」