世界大百科事典(旧版)内の甲斐氏の言及
【越前国】より
…斯波氏は管領家として幕政に参与したが,代々治世短命が多く,6代義健の若死後は支流の義敏が宗家を継承した。これに対して発言権を高めた守護代甲斐氏は専横が目だつようになり,斯波氏の有力被官となった国人土豪層はこれに反感を抱き,義敏を戴いて甲斐氏と対立し,1458年(長禄2)ついに武力衝突に発展した(長禄合戦)。南北朝の争乱時に但馬国から越前に入部した朝倉広景7代目の敏景(孝景)は,長禄合戦では甲斐氏と結んで勝利を収めたが,合戦の翌日,甲斐将久が急死したのを契機に敏景の権力はいっそう強まり義敏を退け斯波氏の支流義廉を守護に推戴した。…
※「甲斐氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」