世界大百科事典(旧版)内の留桶の言及
【三助】より
…江戸時代,下男や小者(こもの)などの奉公人を三助と通称したが,のち三助といえばおおむね銭湯で客の背中のあかをかく〈ながし〉のサービスに従う男をさすようになった。物日(ものび)などには祝儀をくれ,月ぎめで〈ながし代〉を払っているような客がくると,ふんどし姿の三助は留桶(とめおけ)と呼ぶ特別の小判形の桶に上がり湯を汲んで背中を流し,洗い終わるとまた上がり湯を汲んで客のわきに置いた。ふだんの収入は〈ながし代〉だけであったが,盆と正月の十六日などに行われた〈貰い湯(もらいゆ)〉が三助の最大の収入源となった。…
※「留桶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」