世界大百科事典(旧版)内の白山妙理権現の言及
【権現】より
…院政期,上皇はじめ公家貴族の参詣で脚光をあびた熊野は早玉宮・結宮を合して両所権現,家津御子を入れて熊野三所権現と称し,眷属神である五所王子・四所宮を合して十二所権現とも呼んだ。加賀白山では奈良朝初め泰澄により霊場が開かれ,その主神を白山妙理権現と称し,伊豆箱根では同じころ僧満願が僧形・俗形・女形の神体を感得して三所権現と称し社にまつり走湯権現ともいわれ,日光山では勝道が平安朝に滝尾権現を感得し,日吉山王でも大宮・二宮・八王子・客人・十禅師・三宮・大行事等多数の祭神に一々権現号を付し,醍醐寺の鎮守清滝明神は密教の善女竜王にほかならないが,権現の名称で親しまれていた。 以上に見るように,総体に修験者が信仰する山岳中心の霊場には権現号が多く,そこにはひときわ祭神の強力な霊験機能を誇示しようとする意識が働き,律令制の下で《延喜式》に規定された名神から来たと思われる明神の号への対抗が考えられるが,いずれの号をも称する祭神は多かった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」