《百人秀歌》(読み)ひゃくにんしゅうか

世界大百科事典(旧版)内の《百人秀歌》の言及

【小倉百人一首】より

…本の形でも伝わるが,近世以後,〈歌がるた〉として愛好され,かるたの呼名としても定着した。1235年,宇都宮頼綱(定家の子為家の妻の父,法名蓮生)は山荘の障子に貼る色紙和歌の選定と執筆を定家に依頼し,定家は《百人秀歌》(後鳥羽院,順徳院の歌を欠くなどいくつかの相違はあるが《小倉百人一首》と骨子は同じ)を編集,のちそれを改訂して成立したものとされるが,異説も多い。この経緯には,幕府の圧力によって《新勅撰集》に後鳥羽院の歌を入れられなかった定家の不満がからんでいるとされる。…

※「《百人秀歌》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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